北京五輪は、6日フィギュアスケート団体戦男子フリーが行われ、鍵山優真選手が、自己ベストを上回る208.94点で1位となりました。
この大躍進の陰には、父でありコーチの正和さんの存在がありました。
優真選手と同じように膝と足首の柔らかさで有名な選手だった父・正和さんはどのような選手だったのでしょうか?
現役時代はどんな選手だった?
膝と足首の柔らかさから、猫足着氷と呼ばれていました。
膝と足首の柔らかさを活かし、アクセルは苦手としながらもトリプルルッツ・トリプルトゥなどの連続ジャンプを得意としていました。
1991年 全日本フィギュアスケート選手権優勝
1992年 全日本フィギュアスケート選手権優勝 アルベールビル五輪総合13位
1993年 全日本フィギュアスケート選手権優勝
1994年 全日本フィギュア選手権2位 リレハンメル五輪総合12位 世界選手権総合6位
オリンピックでは、8位入賞を果たせず、悔しい想いをされましたが、1994年の世界選手権で悲願の表彰台に上がることができました。
オリンピックでの表彰台に上がるのは、息子・優真選手に託されました。
引退後は何してた?
参照引用元:日本オリンピック委員会
24才で現役引退後は、プリンスアイスワールドで演技を披露した後、34才で退職。
その後は、主にインストラクターの仕事で生計を立てていたようです。
1994年~2005年5月 プリンスアイスワールドにてソロ
2005年12月~2010年 富山スケートセンター専属インストラクター
2011年~2016年3月 風越公園アイスアリーナ専属インストラクター
2016年4月~ 横浜銀行アイスアリーナ専属インストラクター
各地でインストラクターの仕事の傍ら、息子優真選手のコーチをしていたのです。
最後に
父・正和さんの想いとしては、オリンピックで入賞を狙う以上にメダルを目指してほしいという気持ちが伝わってきます。
早いうちからやった方がいいこと、いかに技術を発展させて教え込むかに重点を置いていたのではないかと思わされます。
詳細は下記の記事をご覧ください。
正和さんは優真選手に期待、優真選手は正和さんを信頼しているのがよくわかります。
今後も二人三脚でスケート技術を磨き、努力していかれることを切に願います。
それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。